大阪地方裁判所 昭和25年(タ)15号 判決
原告 伊豆谷美佐子
被告 森本三次
一、主 文
被告は原告に対し金十八万円及びこれに対する昭和二十五年四月十三日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告の其の余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
本判決は原告において金五万円の担保を供するときは、原告勝訴部分に限り、仮にこれを執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、
被告は原告に対し金五十三万円及びこれに対する昭和二十五年四月十三日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、
その請求の原因として、
(一) 原告は大正十一年六月十六日訴外伊豆谷イトの二女として生れ高等小学校卒業後簿記並びにタイピスト学校を卒えた上、生花、裁縫等も修め、女子としての教養を身につけたものであるが、昭和二十四年二月頃被告との間に見合をし、被告より是非にとの懇望があつたので縁談がととのい、昭和二十四年三月二十七日訴外巽政二郎夫妻の媒酌により被告と結婚式を挙げて事実上の婚姻をなし、ここに被告との間に将来正式に婚姻をなすべき予約が成立し、以後内縁の夫婦として被告方において同棲し、よき妻として被告の身の廻りを世話したり家事に従事してきたのであるが、被告は同年六月頃より原告をうとんずるに至り、又被告の母コナミは当時妊娠中であつた原告に対し、何をさせてものろい、家風にあわぬ等と批難して事毎に当り散し、さては、多数人の面前において原告を罵倒するに至つたが、原告はひたすらこれを耐え忍び被告の母の所謂家風にあうように努力し、夫たる被告に仕えて来た。ところが、同年九月十九日被告及びその母コナミは、原告に十日間程実家に帰つて居れと云つたので、原告は何も考えずに生家に帰つたのであるがその夜被告は右原告の実家に来て原告に対し「家風にあわぬから離婚する。高い女中を雇つたつもりで、出産費用と養生費は出す。荷物は返すから取りに来い」と告げたので、原告は意外のことに驚きその翌日前記媒酌人にその事情を話し被告方との交渉方を依頼した。そこで訴外巽政二郎は同月二十一日頃被告方に行つたところ、被告は同人にも原告が被告家の家風にあわぬから離婚すると云い、又同月二十七日原告の母イトも訴外巽政二郎と共に被告方に行き、原告は妊娠していることでもあるし行届かぬところは改めさすから復縁させてくれと懇願したのに対し、被告及びその母は既に離婚したのだから兎や角云う必要はないといつて取合つてくれなかつた。
右の如く被告は何等正当の事由がないのにもかかわらず只家風にあわぬとの理由のもとに原告を追い出し、最早原告と婚姻する意思のないことを明らかにしたものであり、被告との婚姻予約によつて被告と婚姻することを期待し、幸福なる生活を夢見ていたのに被告の右婚姻予約の不履行により、前途の希望は失われ、精神上永久に拭うことの出来ない甚大な苦痛を蒙つたので被告は原告に対しこれを慰藉するに足るべき賠償をなす義務がある。そして原告方は家財道具約金五万円の資産を有するに過ぎず、原告は兄弟の扶養を受けていて、幼児を抱えているので将来生計の途がないのであるが、被告は現在大阪市北区曽根崎中二丁目で飲食店「三ちやん」を営み毎月多額の収益を挙げ且つ右飲食店の建物及び現在家宅等の不動産をはじめ百数十万の資産を有し、また、原告と結婚する前、訴外森本貴美子と婚姻し、同女死亡後は訴外菅光子と事実上の婚姻をしたが、同女の耳が悪いと難癖をつけて夫婦離れをなし、更に訴外安岡良江と同様結婚し、同女との間に長男義雄を儲けたが、同女をも事に託して離別し、その他数名の婦女とも関係を結びその都度捨てて顧みない冷血漢である。よつて右諸事情その他を斟酌するときは、右慰藉料の額は金五十万円をもつて相当と思料する。
(二) 次に原告は昭和二十五年一月四日被告の子である博子を出産したのであるが、難産であつた上に産後の日立ちが悪く、且つ被告は原告の妊産婦手帳を占有したまゝ、原告に渡してくれないので、そのため出産に必要な資材の配給を受けることが出来ず、やむをえず高価品を他より購めるの余儀なきに至つた。即ち原告は分娩料、被服料及び栄養薬代として合計金三万円を立替支払つた。被告は父親として右出産費用を負担すべき義務があるから、原告は被告に対し右出産費立替支払金合計金三万円を支払う義務がある。よつて原告は被告を相手方として昭和二十四年九月二十八日大阪家庭裁判所に家事調停の申立をなし同裁判所昭和二十四年家(イ)第八一五号事件として繋属していたが昭和二十五年二月十五日不調となつたので、原告は被告に対し慰藉料金五十万円及び出産費用金三万円合計金五十三万円と、これに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和二十五年四月十三日より完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、
原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、
答弁として、原、被告間に原告主張の日に訴外巽政二郎夫婦の媒酌により結婚式を挙げ爾来被告方において同棲したこと、並びに原告主張の日に被告が原告を実家に立帰らせそのまま原告は被告方に帰来していないことは認めるが、その余の原告主張事実中以下被告の主張事実に反する部分はこれを争う。後記のように原告は一般の主婦としての能力に欠けていたところ、偶々昭和二十四年九月十七日朝原告が、同居中の被告の弟嫁を泣かせたので、一応実家に立帰らせ離別を申渡したならば原告といえども反省自改するであろうと考え、その反省の機会を与えるための親心から右実家えの帰来と離別を申渡したのであるが、原告は恰もこの時を期して待つていたかの如く旬日後直ちに被告を相手とし婚姻予約不履行による慰藉料金二十万円の調停を大阪家庭裁判所に申立てた次第であつて本件婚姻予約を破棄したのは寧ろ、原告であつて決して被告ではない。仮に被告において、これが予約を破毀したとしても、被告はこれを破毀するにつき次のような正当な事由を有する。被告は原告と結婚前、稚い長男芳雄を男手に抱えてその養育に苦辛していた際であつたので、右芳雄を愛育し家事一切を引受けて貰うことを特に条件とした上、前示媒酌人の勧めにより原告を娶ることになり、結納金、酒淆料は勿論結婚費用一切を被告側が負担し、原告の嫁入道具も結納金によつて調達し、所謂裸一貫で嫁いで来たものである。しかるに同棲後前示特約と予期に反し、原告は芳雄を顧りみず、その養育を等閑するのみならず、家事に関しても一般の主婦としての能力缺如を曝露するに至つた。即ち(一)同年六月始め原告は不注意にも擦れ違う芳雄に突当り、同人を廊下より約二尺下のセメント敷中庭に転落せしめて打撲傷を負わしめ、(二)同年七月中旬原告は芳雄が茶を求めた際、沸騰せる熱湯を与えたまま何の注意もせず台所に去つた為芳雄は右熱湯を呑まんとして手首に火傷を負うた、(三)同年六月原告は風呂場の焚火の灰の跡始未を疎かにし、薪に引火し大事に至らんとしたが、同夜十二時頃就寝中の被告の母が濛々たる煙に目覚め家人を起して消火、ことなきを得た、(四)原告は裁縫の心得がないか又は怠慢なるため、被告宅に在つた半年の間に被告の絽単衣着物一枚を仕立てた丈けであり、又これを縫い上げるのに実に二ケ月を要した。(五)原告は炊事に殆んど無経験なのか煮物一つ満足に調理出来ず、一例をあげると焼魚をつくるに際し金網を逆に使用し魚を裏反しに出来ず困つたなど、調理に関し非常識な所為があること等である。もとより夫婦は互いに足らざるを補い、相啓発すべき関係にあり被告はこの間只管忍苦して何とか原告が芳雄を愛育して呉れるよう、又曲りなりにも一家の主婦たる役目を果して呉れるよう能う限りの注意補導を重ねたが、原告は自ら改める意思がないものゝ如く努力は総べて徒労に帰した。
次に原告がその主張の日に博子を分娩した事実は認めるが、被告の子であることは否認する。従つて出産費用の立替請求も失当であり、仮に被告の子であるとするもその金額について争う。と述べた。<立証省略>
三、理 由
昭和二十四年三月二十七日原告と被告が、訴外巽政二郎夫妻の媒酌により結婚式を挙げ、爾来事実上の夫婦として被告方において同棲していたこと、及び同年九月十九日に被告が原告を実家に立帰らせその後原告は被告方に帰来していないことは当事者間に争がない。
そこで右婚姻予約を破棄したのは原、被告のうちどちらであるかについて判断するに、証人巽政二郎、同ツル子、伊豆谷イトの各証言及び原告本人の尋問の結果(第一回)を綜合すれば、昭和二十四年九月十九日原告は被告の母から十日ばかり帰つてこいと云われ、米一升を貰つて実家に帰つたが、その夜被告が右原告の実家に来て原告に対し、家風にあわぬから離別する。高い女中を雇つたつもりで出産費用は出す。明日車を持つて荷物を取りに来いと云つたので、大いに驚き、翌日媒酌人訴外巽政二郎が被告に遭つてその真意を確めたところ、被告は原告が家風にあわぬから別れると云つてきかないので、更に原告の母イトが媒酌人訴外巽ツル子等と被告方を訪れ被告の母等に対し、原告に悪いところがあれば、なおさせるから復縁させて欲しい旨を頼んだが、一旦別れた以上聞く必要がないと云つて全然取合わなかつたことが認められ、被告本人の訊問の結果中右に関し、原告をその実家に帰した上で離別を申向けたのは原告に反省の機会を与えるためであつて当時原告を離別する考えはなかつた旨の部分は前示各証拠に照して措信できず、その他右認定を覆すに足る証拠はない。しからば、本件婚姻予約の破毀者は被告というべきである。
次に被告は右内縁関係を被告が破毀したとしても、それは正当事由に基くものであると主張し諸事実を挙示するが、仮に該主張事実が全部認められるとしても、これが直ちに正当事由なり得るかについては多分の疑問があるばかりでなく、原告が被告の子芳雄を愛育し且つ家事一切を引受ける旨の特約があつたとの点はこれを認めるに足る証拠がなく、その他の主張事実については、証人森本コナミ及び被告本人が、大体これに逼う証言及び供述をしているが同証言及び訊問の結果は証人森本敏夫の証言に徴して後記認定の如く全面的には措置し難い。すなわち右証人森本敏夫、巽政二郎、同ツル子、伊豆谷イトの各証言及び原告本人の訊問の結果(後記措置しない部分を除く)によると、原、被告の同棲中
(一) 被告主張の如く芳雄が廊下から中庭に転落して打撲したことは認められるが、転落の原因は芳雄が当時よちよち歩く程度の小供であつたから、家人が附添つていなければならないのに、原告が居在しながら偶々附添つていなかつたという程度に止まることも認められるので、多少原告に不注意の譏は免れないとしても、かかる事実をもつて婚姻予約破毀の正当事由とは認め難く
(二) また、台所にある火鉢の縁台の上に載せてあつた熱湯を入れた湯呑茶椀を芳雄が覆えしたことも明らかであるが、これも原告がより以上の注意を怠つたというに止まることが認められ幼児をもつ家庭では往々にして起り得る事柄であつて、もとより恕せらるべき不注意に属する。
(三) 更に、風呂場の火の不始末から薪に引火して大事に至らんとしたことも認め得るが、特別の事情について立証がない限り火の始末は家内全員において注意すべきであり、仮令原告が当日火の後始末をするについて不注意があつたとしても、これを捉えて直ちに家庭生活の破壊である婚姻予約破毀の正当事由とはなり得ない。
(四) また、原告は着物を縫うのに二、三ケ月間かかつたことがあり調理その他にも不手際な点があつたことが認められるが、右期間内原告が殆んど裁縫のみに専念し得たとは常識上考えられないし、また被告のような飲食業の家庭にあつては料理の満足の程度に問題があり、多少裁縫や料理が不得手であつても、この様な事例は世上枚挙に遑がないのであつて、これが直ちに原告をして破鏡の憂身を受忍さすべき正当事由とはなり得ない。
そして右認定事実は前顕各証拠によつて認められる挙式前被告には既に他の女との間に儲けた芳雄があり、その面倒を見て貰いたいとの被告の希望を原告が了承して嫁いだこと及び結婚式費用の大部分は被告が支弁したこととを統一的に理解するも尚本件婚姻予約を破毀するの正当事由とは解し難い。原告本人の訊問の結果中右認定事実に反する部分は前示他の証拠に照して措置し難く、その他右認定を覆すに足る証拠はない。
果して然らば被告は本件婚姻予約を正当の事由なくして破棄したものであつて、原告はこれがため多大の精神的苦痛を蒙つたことをうかがうに難くないから被告は原告に対し右の苦痛を慰藉する義務を有する。而して真正に成立したことについて当事者間に争がない甲第一乃至第三号証に証人巽政二郎、同ツル子、伊豆谷イト、森本コナミの各証言及び原、被告本人の訊問の結果によつて認められる、原、被告の各年令、結婚前歴、財産、原告の学歴及び職歴、前認内縁関係の破毀事由、その他本件弁論にあらわれた諸般の事情を斟酌するときは右精神的苦痛に対する慰藉料は金十五万円をもつて相当と認める。
次に、原告が、昭和二十五年一月四日博子を出産したことは当事者間に争がなく、真正に成立したことについて当事者間に争がない甲第五号証、原告本人の訊問の結果によつて真正に成立したものと認める同第四号証と同訊問の結果を綜合すると、右博子は前示原、被告が事実上の夫婦として同棲中懐胎した被告の子であり、また、その出産に当り原告は助産料、小供の沐浴料、診察費等の分娩費、嬰児の衣類、原告の寝巻、衛生材料等の衣料費、嬰児の牛乳、原告の薬代等の栄養薬代として各金一万円合計金三万円を支払つたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠は他にない。而して右諸費用は前示博子の出産自体乃至はこれと相当関係を有する費用であり、且つ本件原、被告間の内縁関係の当然の結果として発生したものであつて、これは結婚生活費の一部として民法第七百六十条に準じ原、被告の各能力に応じて分担さるべきところ、特別の事情について被告の主張、立証なき本件においては我が国の実情からして夫たる被告において全部負担すべきものと解すべきであるから、被告は原告に対し右金員を支払う義務を有する。然らば被告は原告に対し慰藉料金十五万円及び出産立替金三万円合計金十八万円及びこれに対する本件訴状が被告に送達せられた日の翌日であることが記録上明かな昭和二十五年四月十三日より右支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。よつて原告の本訴請求は右の限度において正当としてこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条、第九十二条を仮執行の宣言について同法第百九十六条を夫々適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 相賀照之 鰍沢健三 小畑実)